暗い、暗い闇。体内まで、闇に侵されていく。 いつまで続くか分からない闇と飢え。 胃の中も肺の中も、どす黒い闇があぶくのように膨れ返り、今にも溢れ出しそうだった。 それでもまた、喉を塞ぐように闇がごとりと転がり込む。 苦しい。息ができない。 眠れない――。 エイトがさっきから、じっと看守を見つめている。何かやる予感がした。 ククールの予想通り、エイトは手近にあった石を拾って、その男に力いっぱい投げつけた。 鉄格子を通り抜けた石が、いかつい兜に当たる。暗闇に響く甲高い音。 耳が痛い。当たってもいないのに、自分の頭まで痛くなる。 「っ――!なにしやがるんだこのガキ!」 男が勢いよく立ち上がる。直後ふらつく足元。頭の中まで衝撃が伝わっているのだろう。 「ただの暇つぶしだ!」 怒鳴りつけた男にそれ以上の大声で返す。要するに逆ギレだ。 もう見慣れたが、初めて見たときは驚いた。 それまでは、ただのオドオドした少年としか思っていなかったから。 「死にたくなければ大人しくしてろ!」 「俺を殺したいならこの中にくればいい!」 思えばエイトは、この旅で変わったのかもしれない。 「ふん、そんな挑発に引っかかるか。 何をしても無駄だ!てめえらは死んだってここをでられねえんだよ!」 ここに来て一ヶ月。エイトは、毎日のようにそんなことを繰り返していた。 俺はいつも、何も言わずにそれを見ていた。 ここに来たばかりの頃は、何も考えられなかった。 自分の身に起きたことが夢のようで、上手く理解できなかった。 だから、どこか他人事のように見ていられた。 だが、時がたつにつれ、そんなあいつに強い苛立ちを感じるようになっていた。 ただでさえ息苦しい喉の奥に、重い空気の塊が生まれる。 あいつを見るだけで。声を聞くだけで。 何を気にしているのだろう。 あいつはただ、外に出たいと言っているだけだ。あいつは決して悪くない。 分かってはいても、湧き上がる苛立ちは収まらない。 自分が嫌だ。 なんで俺はそんな小さな事を気にし、仲間を厭うんだ。 苦しい。息ができない。 あいつが悪い。あいつが、諦めないから。 諦めればいい。 諦めれば、少しだけ楽になる。 闇に沈み込んでしまえば、闇の重さを感じることもない。 「大丈夫だよ。脱走する機会は絶対に来る。 その時のためにククールも少しは食べとかなきゃ。」 差し出されたのはチーズの欠片。それは、袋の中に残っていた貴重な食料。 エイトは、俺を気遣っているだけだ。 だが、食欲の代わりに沸き起こったのは、重い空気の塊。 胃の中に、あぶくのように膨れ出す。苦しい。 「食いたくないって言ってるだろ。」 チーズの欠片が地面にぼとりと落ちる。エイトの瞳がそれを追った。 「――エイト、いいかげんにしてくれ。あれから一ヶ月も経っているんだ。 お前だってもう分かるだろ。脱走する機会なんて来ない。 食べるものがあるなら、ゼシカにでもやってくれ。」 一瞬にして張り詰めた空気。牢屋の連中が、それぞれに俯いたまま様子を伺っている。 全員が聞いている。ゼシカも。ニノ大司教も。 普段の自分なら、絶対にこんな事は言わない。こんな言葉聞かせたくない。 全部、こいつのせいだ。 「ククール、俺は姫と約束したんだ。 絶対に呪いを解いて、トロデーン城の人々を救うって。 だから俺は、こんなところでじっとしている訳にはいかないんだ。」 「言うのは簡単だよな。それで一体どうやってここから出るって? できもしない事をいうな。今のお前になにができるって言うんだ。」 「――何もできなくても・・・。諦めないよ。誰が何を言おうと、俺だけは。」 牢屋の中の全員が聞いている。外では看守も聞いている。恥ずかしくないのか。 「ククール、俺は勇者なんだ。 誰が否定しようと、姫にとっては、ただ一人の勇者なんだ。 だから諦めるわけには行かない。」 古臭い言葉。勇者だなんて。本当に自分がそんなものになるなんて思っているのか。 バカらしい。ここでそれを叫んだってどうにもならないじゃないか。 俺は兄貴を救えなかった。それはお前だって同じだ。 そのお前が世界を救えるわけがない。 「だからなんだっていうんだ。姫様が助けに来るのを待つって言うのか? はっ。姫に助けられる勇者なんて初めて聞いたぜ。 姫様じゃなければマルチェロか?あいつが改心してここから出してくれるのを待つか?」 返す言葉が無く、エイトが口を閉ざす。やっと訪れた静寂。 だがそれは長続きしない。牢屋の奥で、ヤンガスが立ち上がる。 「アニキのいう通りでがす。諦めたら、僅かなチャンスすら見逃してしまう。 今はなにもできなくても、時を待つ事は大切でがす。」 「だよな、ヤンガス。」 エイトの無邪気な笑顔。ヤンガスが釣られて笑う。その笑顔にすら、嫌悪感を感じる。 やめろ。 「なあククール、待ってる人が居るのは、ククールだって同じだろ。 マルチェロを変えられるのは、ククールだけなんじゃないのか?」 エイトが、真っ直ぐな瞳でククールを覗き込む。 それが眩しければ眩しいほど、闇は深くなる。 体中に、闇があふれる。苦しい。 「言うな!」 頭よりも先に身体が動いていた。 「ククール・・・?」 胸倉をつかまれたエイトが大きな目を瞬かせている。 俺は、何をやっているんだろう。 エイトは、仲間なのに。 これではあの男と変わらない。 何かにつけて俺を殴ったあの男と、何も変わらない。 「やめてよ三人とも。」 いつの間にか後ろに立って居たゼシカが、俺の肩に軽く触れる。 その瞬間、押し寄せる強い眠気。すぐに魔法だと分かった。 「ゼ・・・シカ・・・。」 落ちていく。暗いか明るいかも分からない深い場所へ。 「眠れなくて気が立っているのよ。」 ゼシカが、倒れたククールの身体を受けとめる。 エイトは半ば呆気に取られたままゼシカに手を貸した。 「ねえエイト、誰もがあなたみたいに強くなれるわけじゃないの。 だからお願い。できもしないことを言うのはやめて。」 ゼシカも憔悴している。誰もが精神的に参っていく。 「ゼシカまでそんなことを言うでガスか!」 ゼシカが俯く。エイトは、悔しくて、強く拳を握り締めた。 いつものように、鉄の鳥かご下がり、交替の看守が降りてくる。 「おい聞いたか?法皇様が一ヶ月前にお亡くなりになったそうだぜ。」 「なんだって!」 その言葉に全員が顔を上げる。 背筋が寒くなった。目の前が真っ暗になり、何も見えない。 どこか遠くで、ニノ大司教が鉄格子を揺さぶりながら叫んでいる。 「おい、どういうことなんだ。法皇様がお亡くなりになったとは」 「うるさい。お前らには関係の無いことだ。」 「教えてくれ。法皇様に何があったんだ。まさか・・・マルチェロが・・・」 「大人しくしていろ。」 否応無しに目の前に立ちふさがる青い制服。冷たい眼差し。 「・・・エイト、わしに考えがある。」 ニノ大司教の言葉に、ゼシカとヤンガスが弾かれる様に立ち上がる。 その姿を遠巻きに見ていた俺を、エイトが手招きした。 「わしが腹痛を起こした振りをする。その隙に・・・。」 成功への不安とともに過ぎる一つの疑問。 あの籠は、誰かが外で操作しないと動かない。 看守たち自身でさえ、交替のものが来ないことには、外には出られない。 気づいていないのだろうか。いや、まさか――。 「ニノ大司教様、いいんですか。それで・・・。」 「私は今はじめて、心から神に祈るよ。この作戦の成功を。」 自ら犠牲になろうというのか。いや、まさか。こいつはそんな人間じゃない。 誰かを犠牲にしてでも上へのし上がる。あの兄と同じ種の人間だったはずだ。 こいつがそんな事、できるはずが無い。 金に目がくらんだ看守たちを気絶させ、巨大な鳥かごに乗り込む。 「ちょっとまって、これどうやって動かすの?」 「そうか・・・誰かが残ってあのレバーを操作しないと・・・」 「兄貴のためだ!ここはアッシが・・・」 「いや、待て。わしが残る。」 ニノ大司教は、意外なほど力強さで、ヤンガスを無理やり鳥かごに押し込んだ。 「ニノのおっさん!みんなで逃げないでどうすんでがす!? それに、看守どもが起きたらあんたじゃ太刀打ちできねえでげすよ!」 「エイトは自分の役目を果たした。わしに諦めないことを教えてくれた。 わしも、わしの役目を果たす時だ。」 ニノ大司教がレバーを引く。 エイトたちの乗った籠が、強い力で地上へと引き上げられる。 遠ざかる地獄の底。 ニノ大司教の姿が、小さくなり、闇に埋もれて見えなくなる。 下を見ても、もう闇しか見えない。 夢をみているようだった。 エイトもまた、呆気に取られた顔をしていた。 まったく予想もしていなかったのだろう。 そして、自分が彼をそうさせた事には、全く気づいていない。 それでもあの瞬間、ニノ大司教は「勇者」だった。 船着場に、巨大な船が見えた。 トロデ王が、駆け寄ってきてエイトの手を握る。 馬の姿のままの姫が、愛しげに頬を寄せた。 エイトが振り向き、俺に向かって微かに笑う。 背中を押された気がした。 ――俺も、兄にとっての「勇者」に―― --------------------------------------------------------------- ククール視点で描いたせいでククールがだいぶ格好悪い。 エイトを格好よく書こうとしたから相対的にククールが駄目になったのかも。 ところでニノ大司教は脇役ながらなかなかいい役どころだったなあ、と。 エンディングで新法皇になってたしねえ。 もうちょっと顔がよければ、やおい娘が飛びついていたかもしれないのに。 残念。