――どうしよう。今にあの子が生まれてしまう―― ――どうしよう。もうあんなにお腹が張って―― ――どうしよう。もう、あの人がここに来ない―― 「大丈夫だよ母さん。僕がついてる。僕が守ってあげる。」 それでも母は泣くのをやめなかった。 穴の中に棺が納められている。次々と花を備える人々。また、誰かが死んだ。 一度目は、俺を産んで俺を捨てた母親。 二度目は、俺と母を屋敷から追い出した父親。 三度目は、俺を育て、俺を戒めていた育ての親。 皆、死んでいく。俺は、なすすべもなく立ち尽くすだけ。 自分の番が回ってきた。 皆に倣って花を置いた後で、どうしてももう一度、顔を見たくなった。 重い棺の蓋を、汚れた両手でそっと開ける。 中に入っていたのは――・・・。 ベッドの上で飛び起きる。ひどい寝汗。怪我のせいだけではなく、頭が痛い。 遠い昔から何度となく見ていた夢。早く、忘れなければ。 そうだ。昨日はオディロ院長の葬儀。今日は院長就任の儀式。 それが終われば各教会、神殿への挨拶周り。 寝ている暇などない。 「聖堂騎士団員ククール、参りました。」 団長の執務室。エイトたちを中に招き、自分はマルチェロの横に立つ。 マルチェロの顔を見るのは、昨日の葬儀以来。 オディロ院長がなくなったのが一昨日。 あれからたった二日だというのに、その目元は心なしか落ち窪んでいる。 きっと、寝ていない。 もともと器用な奴じゃない。なまじ仕事ができる分、どうせ自分一人で抱え込んでる。 マルチェロがどれだけの仕事をしているかなんて想像もつかない。 上層部への報告や修道院の警備の強化、傷を負った者達の代替要員の手配、 葬儀の後始末、新院長就任、そんなところだろうか。 何せ、マルチェロはククールに仕事の話をしようとはしない。要するに、信用されていないのだ。 「話というのは他でもありません。オディロ院長を手にかけたドルマゲスという輩、 聞けば皆さんは、奴を追って旅をしているとか。 奴は私たち聖堂騎士団にとっても、オディロ院長の仇。 そこでご相談ですが、皆さんの旅にククールを同行させていただけないでしょうか。」 耳を疑った。そんなこと、一言だって聞いてない。 オディロ院長が亡くなって以来、付きまとっていた嫌な予感。 マルチェロは以前から、事あるごとにククールを追い出そうとしていた。 オディロ院長がなくなった今、いつかそれが現実になるのではと内心ビクビクしていた。 それがまさか、こんなにすぐだなんて。 ――まだ俺があんたの場所を奪うなんて考えてんのかよ―― 愛されたいなんて思ってた訳じゃない。恨むなら恨めばいい。 役立たずといわれようが、邪魔だといわれようがかまわない。 それでも俺は、あんたの傍に居たかった。 いつも張り詰めた顔をしているあんたの、助けになりたいなんて考えてたんだ。 「ククールは母親は違えども私の弟。必ずや皆さんの旅の助けとなることでしょう。」 「お待ちください団長。なぜ私なのでしょうか。」 自分を無視して勝手に話を進めるマルチェロに腹が立った。 だがマルチェロは、上司の顔を崩そうとはしない。 「ククール。今修道院を離れても問題が無い者はお前しかいないのだ。 他のものにはそれぞれこの修道院で果たすべき役目がある。その点お前は身軽だろう。」 「つまり役立たずだと?」 「役立たずかどうかは、お前が一番よく分かっている筈だ。」 奥歯を強くかみ締めた。マルチェロも憎かったし、自分自身も憎かった。 唯一の頼りどころが無くなった不安。それは、ククール自身にだって覚えがある。 その隣で安らぎを与えたいと思うのに、近寄れば、兄の怒りを煽るだけ。 俺は兄にとって苛立ちの対象でしかない。俺が、母親の仇だから。 俺じゃ、駄目なんだ。 「なるほど。わかりました。それほどおっしゃるならこいつらについて出て行きます。 オディロ院長の仇はお任せを。」 兄がふっと息をつく気配を感じた。災いの種が居なくなって安堵しているに違いない。 「待てよ。ククールは役立たずなんかじゃない。」 エイトが虚礼の姿勢を取ったばかりのククールを遮る。 「何を・・・」 「ククールは金持ちの家にお祈りに行って寄付金をいっぱい稼いでるんだろ? 街の人から聞いたよ。ここんちの稼ぎ頭なんだって?」 「そんなものは本来聖堂騎士団として行う業務ではない。 こいつはそれしかできないから、それをやらせているだけだ。」 棘のある言葉で不快感を示すが、エイトは引き下がらない。 「できないなんて誰が決めた。お前がやらせないだけなんじゃないのか?」 無礼極まりないエイトの言葉。 だがククールは、心臓を鷲掴みにされた気分だった。 それはククールがずっと抑えこんできた思いそのもの。 「俺はあんたの弟に頼まれたんだ。オディロ院長を守ってくれって。 ククールはドルマゲスが危険な奴だって気づいてたんだよ。 それなのにあんたは、俺たちのことを侵入者扱いして、真っ先にククールを疑った。 なんでククールを信じてやらないんだよ」 「やめろ!」 言葉と同時に身体が動いていた。殴られて床に転がったエイトが、ククールを睨んでいる。 「なんでだよククール。なんで何も言い返さないんだよ。理不尽だろ。」 分かってない。オディロ院長を守れなかったことで一番傷ついているのは、マルチェロだ。 マルチェロにとって、オディロ院長は唯一敬愛する人物であり、家族だった。 「そんなの俺の勝手だ。出て行けよ」 「いやだ!」 「エイト、いきましょう。」 暴れるエイトをゼシカが宥めて連れて行く。ヤンガスが後を追う。 「俺は追い出せとは言っていないが?」 マルチェロの低い声。 冷静を装ってはいても、あれだけ言われて穏やかで居られるはずはない。 「――オディロ院長が死んだのは、あんたのせいじゃない。」 見ていられなかった。何も知らないあいつが兄を責め、追い詰めるのを。 「そんな事、お前に言われるまでもない。」 分かってる。部下に慕われているあんたなら、これくらいの慰め文句呆れるほど聞かされてる。 それでもその言葉はあんたの耳には届いてない。だから、言わずには居られない。 正午を報せる鐘の音。 マルチェロが机上の書類をひとまとめにし、椅子を引く。 次の会議の時間が近づいているらしい。 ――倒れる―― ふと過ぎった勘。でも、何故だか確信していた。 マルチェロの手にもっていた書類が、バサリと落ちる。 駆け寄って差し出した腕の中に、マルチェロの身体が崩れこんだ。 額を強く抑える手が、眩暈と頭痛を訴えている。 「少しお休みになられた方がいいのでは?」 腕の中で浅い呼吸を繰り返す。服越しに感じる微かな熱。 痛ましくて、愛しくて。 誘惑に狩られ、そっと頬に手を伸ばす。 「触るな!」 予想通りというか、その手は届く前にマルチェロによって払われた。 音が響くほどに強く叩かれた手首が痛い。 「汚らわしい。」 「どうしてあんたはそう・・・!」 思わず出かかった言葉を、喉の奥に閉じ込める。 これ以上言ってはいけない。言えばきっと追い詰めてしまう。 突き出された手に、落ちた書類をまとめて渡す。 マルチェロが立ち上がる。 もう、手を伸ばしても届かない。 「俺じゃあんたの力になれないのか?」 「俺はお前を信用していない。そんな奴を傍には置けない。」 マルチェロは、背中で答えてさっさと行ってしまう。 一人残された部屋の中。悔しくて強く両手を握り締めた。 ――誰のせいで汚れたと思って・・・!―― 言えなかった。 あれ以上言えば泣かせてしまいそうな気がした。 もちろんあの男がククールに涙を見せるなんて事は、有り得ないのだけれど。 会議が終わり、左手の窓からふと噴水広場を見下ろすと、 新しい仲間たちと話をしているククールの姿が目に止まった。 もう、旅支度を済ませている。 これで、俺を止めるものは居ない。 俺を捨てた生みの母も、父と慕ったオディロ院長も。目障りな弟も。 俺は、ここの院長で終わるつもりはない。 こいつはきっと、俺の考えを許さない。 傍においておけば、必ず障害となる。 ――生きて会うことは、もうないかもしれない―― 夢の中。かじかむ両手でずらした棺の蓋の下。 そこに居たのは、血に汚れた美しい弟。 俺が、殺したんだ。 マルチェロ、お前についてよくない噂を耳にした。 お前がククールを欲望の対象としているのではないか、とな。 もちろんただの噂だと思っている。 だが神は、一組の男女の間に次の命を宿すよう定められた。それが、神の意思だ。 もしその道から外れ、穢れた行為に走ろうというならば 私はお前を破門しなければならない。 わしは、お前に期待している。 わしの跡を継ぐのはお前だと思っている。 お前は、そんなことは絶対にしないと信じているよ。 この恨みが理不尽な事くらい、分かっている。 だが、俺はお前を愛せない。 愛せないから、憎むんだ。 --------------------------------------------------------------- 自分が普段思っている事を他人に代弁されるとショックだという話。 ククールはマルチェロを想うが故に言い返せない。 マルチェロ自身分かっている筈だから言う必要はないんだけれど 言いたいことを我慢するのって、ストレスたまって辛い。 マルチェロはオディロ院長を尊敬するが故に言い出せない。 でも、どんなに素晴らしい人でも同意できない事はある。 追い求める理想が違ったり、感情的に我慢できなかったり。 尊敬する人だからこそ理解して欲しい。せめて知っていて欲しい。 でもあんな風に先回りして言われちゃうとね・・・。